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母のマイブーム

なんやかやの大騒動の怒涛の日々を過ごし、婆さん(実母)は老人ホームに入居した。

つまりなんだ、これからは婆さんが死ぬまで、一番近場に居ることになったアタシが
金銭面、メンタル面、及び、細かな御用聞きを一手に引き受けることとなったのだ。

(今までは姉に押し付けていたのだが、早い話、姉がギブアップしたのだ)

アタシにとっては、子どもがほぼ独立したと思った瞬間に、婆さんが登場したことになる。
子どもが独立するまで20年。
婆さんが死ぬまでが多分20年。
同じ年月が流れるかもしれない。もう恐怖以外の何物でもない。

そんな中、発見があった。
老人特有なものなのか、うちの婆さんだけの問題なのか謎だが

別に呆け症状は見られないのであるが、ひとつのことに固執して
それをずっと言い続けるという趣味があるということを発見したのだ。

発見というよりも、前からある症状を再認識したと言った方が正しい。

そのマイブームを幾つか説明するとこんなことになる。

3月31日、消費税5%最終日。

婆さんはどうしても買い物がしたいらしく、それまでも尿漏れパッドを買い占めろだの
ミネラルウォーターのペットボトルを買い占めろだのとアタシに命令していた。
しかも、ドラッグストアの店名まで指定してくる。
そこが何処よりも安いと頭にインプットされたせいだ。

娘の家から、近場のドラッグストアを越えて、わざわざ行くというガソリン代のデメリットなんかは
知ったこっちゃないらしい。

まあ、日持ちするもので、かつ、確実に使用するものならと前もって買ったものもある。

その買い物リストの中にご指定の化粧品があった。
近くにその専門店がないため、聞こえない振りを貫いていたんだが
3月31日に「最終日なのに!」と文句を垂れ出したので、急きょ予定を調整し
車椅子を抱え、老婆もろともショッピングモールに行った。

婆さんはそのメーカーの割引カードを持っていたんだが、あいにくこの店舗では使えませんということで
定価で小さいものをゲットしてきた。

つまり消費税のことを考えずとも、割引で買えないのだから高づいた計算になる。
婆さん、とっても不機嫌になって文句を垂れていた。

そんな中、眼科に行きたいと言い張りだした。

目薬は以前に住んでいたところのかかりつけで一生分もらっている。
「あるじゃん?」と言うと、もう使っていないのだと言う。

その目薬も大騒ぎしてゲットしてきた代物なので「勝手にやめただとぉ?」とキレそうになる。
(そういう、ひとつひとつのことが姉の疲弊を生み、こういう顛末になっているのだ)

「ステロイド、勝手に使用を止めるなんて!?(呆)」と言えば、婆さんは

「この上下のまぶたが赤くなっているのはステロイドの副作用だ!だから、この赤みを看てもらうために
病院に行く!」と言い張る。

「はぁ?どっこも赤くありませんけど?それは目のくまでは?」と返事をすると

「夜にひどくなる!」と聞かなくなる。

一口に医者と言っても、車椅子の婆さんを連れて行くのは大仕事なのだ。
はっきり言えば、アタシが疲れで病気になりそうだ。
そんな重病でもなさそうな人をホイホイ連れてはいけませんけど?
(ホームには何でも科を兼ねた内科の先生は来てくれるのだ)

ところが、婆さん、奥の手を使ってきやがった。

ホームの施設長から電話があった。

「お母様がまぶたの赤みをあまりに訴えられるので、病院に連れて行ってください(怒)」

4時間待ちの診察で「何ともなくてよかったですね~」と言われて、疲労感一杯なのはアタシである。

やれやれ、目が一段落したわいとホッとしたのも束の間。

今度は別のメーカーの化粧品が欲しいので(割引カードが使えなかった恨みで
そこはもう使わないらしい)連れて行って買え!と抜かしてらっしゃる。

「だって、こんなに皺があって!鏡を見たらギョッとして!」と訴える。

それは、もう80過ぎてるんだから、仕方なくね?と思うのだが

多分、周りの入居者の誰かと比べて、負けた感を持っちゃったのが理由なんだろう。

「あの人(入居している90代の婆さん)たち、皺とかないじゃない?」って言うから
そんなこったろう。

美容好きで、小奇麗だったマダムならわかるが、まったく真逆なので
単に今のマイブームが「美容」なだけだ。

母がホームに入って4か月しか経っていない今日。

アタシはアタシ自身を鏡で見て、驚いた。

アタシの眉間にふっかい縦皺が、少なくとも、年明けにはなかった皺が刻まれている!!

婆さんはそのブランド品を我が手に取るまで言い続けるだろう。

アタシはもう数年でアタシ自身がボロボロになるような予感がしている。

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鎌倉野菜で飲んだ夜

「美味しい鎌倉野菜が食べたい!」との友人のリクエストで食しに行った。

鎌倉野菜というのは、なんであんなに美味しく感じるんだろうか!?

紫からし菜だとか、黒大根だとか、グリーンマスタードだとか、白ナスだとか
大手スーパーでは扱っていないっぽい野菜のオンパレードなので

希少価値があると思って食べるからだろうか!?

なんか、酒も進むし、いい感じである。

そんなわけで友人と語り合う。

友人は母一人、娘ひとりで、ずっとシングル(死別)で子育てをしてきた人で
もうアタシは「尊敬」という言葉しかない。

友人は言う。

「りんこ、もうアタシ、この2つき、考えられないくらい凹んでて、やっと復帰の兆しが出たところ」

そして、これを読めとスマフォの画面を渡してくれる。

そこには友人の娘から母に宛てたメールがあった。

途中、涙でわかんなくなったので、文章そのものを再現することは出来ないんだが

「ひとりで育ててくれてありがとう」

「お母さんのことは誰よりも尊敬している」

「こうやって体力も学力もつけてくれて感謝です」

そういう言葉が並んだ後

「独立のときがきた」

「お母さんと私の人生は別」

「お母さんはお母さんで「私以外」の趣味を持って生きていくべき」

「それが私の幸せでもあり、安心でもある」と綴られていた。

これを大晦日のディズニーワールドで受け取ったらしい。

「お母さん、ちょっとここでひとりでいて」と言われ、どこかに娘が消えたなぁって
思っていたら、これが送られてきたらしい。

カウントダウンに沸く人ごみの中、異国の異邦人はこの世でたったひとりなんだなって
思ったら、泣けて泣けて仕方なかったと言って、また泣く。

そうだよ、おめ~はいきなりダンナに死なれて、赤ん坊とふたりぼっちにされて

それから、ずっと娘と二人三脚でやってきて

やっと大学に入れたんだよな。

今でこそ、アタシとこうやって飲みに出るようになったけど、

恋愛だって、すべて自粛

娘いのちで生きてきたよね。

「りんこ、あたし、ひとりぼっちだよ」って言った友にアタシは冷たくこう言ったんだよね。

大体ね、娘が自分が気に入っていた彼氏をふったという理由が発端のバトル。

「ざけんな!娘の人生で青春、生きなおそうとすんな!
娘の恋愛に首突っ込んでくんな!

あ~、重い!! 重い!!」

友は泣きながら「そうだよね、そうだよね」と言う。

「20歳で娘が独立宣言するなんて、素晴らしい子育て!!

そういう風育ててきたのは、他ならぬあなたでしょうが!!すごいよ!!」

娘いのちで、娘を最優先しないことには育ってこなかった。

きっとスケジュールも頭の中も娘のことで一杯だったと思う。

でも20歳になった娘は母の手を離れたいと願うんだなぁ。

「ここで離さないといけないよね」と言う友は立派だ。

アタシはアタシで50も過ぎたというのに、未だに母に束縛される。

「講演に行ったの?何時に出たの?早すぎるわね、断ればよかったのに!

なんて電車で行ったの?どこで降りたの?迎えには来てもらえたの?

来ていく服はあったの?何を着たの?

何人くらい居たの?何時間話したの?いくらもらったの?あら、少ないのね、ダメじゃない。

何時に帰ってきたの?ご飯はどうしたの?ETC・・・」

毎日、毎日、アタシのすべてを把握しなければ気が済まない。

アタシは友に言った。

「ここで断ち切るのは、あなたのためじゃない。娘のため。
アタシのような娘を増やしちゃいけないんだよ」

友は涙を拭きながら言った。

「りんこが娘を手放した理由がわかった気がした。
そうだね、アタシたちはアタシたちの人生を生きないとね」

「そうだよ、長そうだけどな・・・(笑)」

これからは友だよ、友!と乾杯した。

こんな涙の夜のつまみには鎌倉野菜がまた合うんだよな。

また、食べに行こう!

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超モテ期

人生にはモテ期が何回かあると聞くが、母のモテ期が今である。

見学した中では、かなり良いという感触を得たアタシの街の有料老人ホームからの
思いがけない「入居のご案内」が届いた(電話で届くのよん)その2日後

今度は母の街の特養から「入りませんか?」との打診が来た。

えーーーーー!!!???

絶対無理、不可能、絶望と言われている特養から!?
しかも、この特養、ユニット式(大部屋ではなく全員個室タイプ)なのだ。

嬉しい悲鳴を上げた直後、尚も驚くことがあった。

14人待ちと言われた別の有料老人ホームからもその翌日、お誘いを受けたのだ。

1週間のうちに、ほぼ絶望視されていたところからのまさかのお誘いが
3軒同時に来たのだ。

これをモテ期と言わずして、なんと呼ぶ?

こんなことってある~~??状態だ。

もちろん、母の介護度を上げることに全力は尽くした。

ケアマネにも判定員さんにも窮状を訴えた。

このまま自宅介護を続けるためにも、介護度認定を上げてもらう必要があるからだ。

しかし、判定員が来ると、なぜか母は張り切り

全介助ではなく、一部介助ということになり、ワンランク低い扱いになるのだ。

支えがあれば歩ける

自分でごはんも食べれる

トイレも何とかひとりで行ける

行けるし、出来るんだけど、行けないし、出来ないんだよ!

という心の声は意味不明ということで一切却下になるのだ。

「うーん、これでは要介護3は無理ですね」と言われていたのだが

身障者手帳が出たせいなのか、顔面から転ぶ際に出来るお岩顔が効いたのか

要介護3が出るような出ないような話で判定員は帰って行った。(まだ認定結果待機中)

通常、特養はお国の補助の入った施設のため、入所者は要介護3以上と決められている。

しかし、前回書いたように、入所者のバランスということもかなり考慮されるようなのだ。

もう、もはや、これは運とか縁とかしか言えないのであるが

500人待ちだからと言って、本当に500人待ちという意味ではないし
(すべての人が各々で複数の施設に申し込みを行っているシステム)

その中でも緊急度や施設長のお眼鏡に叶った人が優先されるようである。

こういうのを一元管理できないかなって思うのであるが
今現在は個人的に探して、ドンドン掛け持ちで申込み、空いたところに入るというシステムになっている。

子どもが近居でいる人はいいが、介護型ホームに入ろうかというお年寄りには
このシステムは酷だよなぁって思うのである。

福祉は申請しなければ、向こうからはこないのである。

介護は情報戦なのだ。

何処にホームがあるかを調べ、申し込み方法を調べ、実際に細かい書類を書き
ってことをやる人間が居ればいいが、お年寄りひとりではとても無理だろう。

このシステムの狭間で本当に苦しんでいる人が抜け落ちているんだろうなぁと想像している。

このお誘いがあった特養は母がショートステイに度々利用しているところであるが

職員さんの感じも良いし、建物も新しいし、かなり恵まれているところである。

(特養に入居したければ、そこのショートステイを利用していた方が入居の順番は上がるのだ)

この時点でも、おそらく今でも、母はひとりで全部やれていると信じている。
娘たちがうるさくホーム!ホーム!と言うので、仕方なく見学に行ったという気持ちなのだ。

自分で出来ないことは娘に一声、命令すれば出来るので
(贈答品を送るとか、植木の水やりをするとか、病院に行くとか、そういう日常の一切合財である)
どういうわけか、それは自分がひとりでやって出来たという結果にすり替わっているのだ。

「姥捨て山なんか、行かないも~ん。私は私のお家で誰にも迷惑かけずに一人で住むもん。ふん」
と言う母のお尻に否応なく火が点いた。

親族、誰もホームに入れるなんて思っていないので、この調子で3年くらいはすぐに経ってしまうと
タカをくくっていたのだ。

でも、病魔はおそらく3年もしたら、寝たきりにさせてしまうだろう。
そのとき、仕事を辞めて、この先、十数年と言われる24時間の母の介護を誰がするのか?という
気持ちで、ホーム見学をしていたのだ。

母にとっては事実上の終の棲家になる場所をすぐに2択しなければならないという
状況を突き付けられたに等しい。

病院に難があることがわかっている、しかし費用も魅力的な特養か(姉と母の家の近所)

病院は揃っているが、費用はかわいくない有料か(アタシの住んでいる街にある)

最終判断は土日を挟んだ中3日でということになった。(続)

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疲れきった

 仕事先の人様に多大なるご迷惑をかけているという心労で病みそうだが
全ての仕事をストップして、この問題に奔走している内に疲れ切った。

実母を自分の街に引き取ることにしたのだ。

国指定難病の母であるが、末期がんとかではないので、死期が専門家でもわからない。
ゆっくりとゆっくりと体がまぶたも含めて、動かなくなるという神経難病なので
(しかし、意識はある)
寝たきりになっても、何十年と生き続けるケースも稀ではない。

こういう、どういう末路をたどっていくのかが全く把握できない人を
引き受けるという決断は結構重いのであるが

ダンナの「問題解決のために必要なことを選ぶ、きわめてシンプルに考えればOK」との
言葉に

腹をくくると言うよりは「なるようになれ!」って思いである。

母は神経難病なので、月1回、自宅から1時間ほどかかる専門病院に通院している。
このときは姉とアタシのふたりで付き添うが(ひとりが荷物を持ち、ひとりが母の車椅子を押す)

アタシの家から母の家まで1時間半かけて行き、そこから病院まで1時間かけて運び
また同じ行程を帰ってくるので、1日がかりの作業になる。

支えがあれば、少しは動けるから行けているのであるが、これから先、体が動かなくなったら
どこまで運んでいけるかわからないという問題がひとつ。

母の自宅近くの総合病院は極めて評判が悪いという問題がひとつある。

(入院すれば老人は呆けていようがいまいが縛ることを必須とし、呼んでもナースが来ることは稀で
来ても、ほとんどのナースが用事を頼む前から怒っている)

アタシの家の近くの総合病院が良いのかどうかは謎だが、主介護者の姉が
「この病院での最期はあまりに可哀想だ!」との訴えを取り下げない。

母の住み慣れた自宅近くの特養、有料老人ホームを探し、見学し

段々と距離を広げ、西湘・三浦地域まで範囲を広げていった(要は神奈川県海沿い全域だ)。

自宅で看るという選択は母の病気には不可能だと悟り、施設見学を本格的に始めたのだ。

(日本の一般的家がダメらしく、廊下が細い、トイレが狭いというだけで一歩も進めなくなるのだ。
自宅は相当、改造してバリアフリーにして車椅子が行きかえるようにしているが転倒は止まらない。
母は昨日も夜中に顔面から転び、血だらけになっていた)

まずはアタシが見に行き、ここは!と思うところに母を連れて行く。
(中学受験に似ている)

ここは!と思うところは大抵、満室で空はないので、予約待ちの状態である。

まあ2~3年計画で探していこうとの思いで申し込む。

その申込書も施設によって、様々で細かく書いていくことには変わりがない。
結構な手間暇がかかる。

満室であっても、そこの施設長やらケアマネとの面談は必須なので
時間が取られること請け合いだ。

そんなこんなで、見学しては面談して、書面を整え、申し込む。

特養はにっこりこう言う。

「確かにお申し込みを受けました。まあ、要介護3になって、それから3年くらい
お待ちいただければなんとか・・・」

特養は症状が重い方の施設だから、仕方がないのだ。

そんなこんなで、有料老人ホームも片っ端から見学し、申し込みをする。
ものすごい数あって、何がどうなのか、大混乱必須だ。

老人ホームも自立型、介護型だけならまだしも、高サ住と呼ばれるもの
グループホームと呼ばれるもの、その中間施設などもいっぱいあり
違いを学んでいくだけでも大変で、当たり前だがホームごとに全く趣も金額も異なる。

そんな中で、アタシの街のホームを見つけた。

少人数だからか割合アットホームで施設長自ら、実務をこなし、ケアマネも一生懸命だった。

提携病院に連れてってくれて、ペットも連れてってOK(むしろ歓迎)、外出も連れて行くし
リハビリにも力を入れる、看取りもOK、本人の希望するとおりにホームで死にたいならそうするし

最期まで治療を望むなら提携病院に行かせるし、呼吸器系やらの医療措置が入って
ナースが24時間いないと困るならば、提携施設を探して、行き場がないということはないように
しているというホームだ。

ただ今、9人待ち。ものすごくお高くもない(アタシは無理だけど・・・。今の老人は金もっているから)。

もう内情を話して、どうかお願いしたい!と頭を下げる。

9人待ちということは入所者が9人死なないと入れないということなので
ほぼ無理だなと諦めていたのであるが、今回、事情は様々なのだということがわかった。

なんと、それからひと月もしないうちに「入りませんか?」というお声かけをいただいたのだ。

施設は通常、申し込み順ではあるのだが、より困っている人を優先させるのだ。

特養でも、有料でも老人ホームはケアマネたちの月1回あるという会議にはかって
次の入所者を決定するらしい。
そこに名前が上がらないと、話にならないので、まずはケアマネたちに
緊急度を理解してもらう必要がある。

緊急度が高い、寝たきりであるとか、独り暮らしであるとか、生活保護であるとかが特養の場合
優先されるのであるが

このほど、特養でも有料でも「バランス」という問題があるということもわかった。

入所者全員が要介護5という介護が大変な人ばかりだと、介護者たちが疲弊するので
比較的軽い人も入所させるという「バランス」が図られることもあるらしい。

「入りませんか?」と言ってくださったホームではひとり欠員が出たときに
こういうことがあったらしい。

入所待ち1番の方は要介護が要支援になりそうで、そうなると出ていかないといけないので
今すぐの入所ではなく、待機にしておきたいという意向でキャンセル。

入所待ち2番の方は介護度が重く、空いた部屋が一番奥だったため、食堂まで運ぶことが難儀という
理由で、ナースステーション近くの部屋が空くまで待機ということになったらしい。

そんなこんなで新参者の母が「最適」という結論が出たらしい。

それからが大変だ。

今すぐ入居を誰も考えていなかったのだ。

返事は1週間以内にしないといけない。
お試し入居(一泊1万円払って、仮入所するシステム)をして、すぐに返事をしないといけない。

大慌てだ。
史上最高に忙しい1週間の幕が明けた。(続く)

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老人ホーム見学ではしごする

今日も収穫ゼロだった。

実母のすくみ足はいよいよ進み、素人目にも病状は悪化している。

もちろん難病専門医にもかかっているし、リハビリもやっているんだが
病魔のスピードに勝てない。

難病専門医は怒る。

「いつまでひとり暮らしをさせるつもりだ!入院させるぞ!」

つまり入院させて、地方の空いている特養に入れる!と怒っているわけだ。

老人ホーム探しは印鑑をついて入居する直前でキャンセルして以来
止まっていた。

見ている前で、しかも支えているにもかかわらず転倒されるのだから、
ホームに入れば、転倒しないというのはあり得ない。
ただ、発見が早くなり、救出が早まるというだけだ。

ならば、もう本人が望む自宅で、たとえ転んだ状態でそのままで何時間か
いようとも、仕方ないのでは?
ギリギリまでそうしようという暗黙の了解が姉とアタシにあったのだ。

難病医者は言う。

「なぜ、同居しない?」

してもいいが、姉は屋敷は広いが働いているので、日中は母はひとりだ。
アタシの家には母が居れるスペースがない。
1階はリビングダイニングしかないのだ。
2階には母は登れない。
1階にベッドを置いたら、母のプライバシーがない。

母の家に住むとなると、ウチの家族が崩壊する。

「同居なんて、気を遣うだけ。倒れたら倒れたでそれでいいから。自分の家が一番」という母に
ギリギリまでそうしようかと悩む姉妹だが

今が多分、そのギリギリなのだ。

今日も有料老人ホームを2軒はしごした。

1軒目は駅前のため、駐車場がない。これでは母を病院にも連れ出せない。

2軒目はスタッフも建物も入居者も素晴らしかったが、居室に段差がある(車いすで登れない)のと
トイレが居室にないのがネックでどうにもならない。

難病医者は「家探しと一緒だから、妥協もしないと」と言うが

暮らしていく上で欠かせない項目がクリアできないのだ。

項目がクリアできると、今度は値段がクリアできない。

入居一時金がバカみたいに高いのだ。
それが払えたとしても、月々20万円を突破する。

「もし長生きでもして、年金額が少なくなったら子どもに迷惑をかけるから」と母。

年金が削られて、逆に介護保険料が引き上ることを危惧しているのだ。

こんな状態でも要介護2。特養は相手にしてくれない。

「今日も転んじゃった、えへ!」って笑う母に

どうにもしてあげられなくて、悩みはドンドン増していく。

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