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森山良子さんのコンサートに行って激疲れ(良子さんのせいではないです)

お婆さん(実母)を連れて、森山良子さんのコンサートに行ってきた。

コンサート自体は本当によかった。

良子さんはかわいくて、相変わらずの美声で、ユーモアがあって、お客を楽しませようと頑張ってくれて
ヒット曲もいっぱい聴けて、私の年代でも十分楽しめた。

ありがとう良子さん、ついサイン入りCD買っちゃったよ。

さて問題は婆さんである。

車椅子の移動って結構大変で、まず車に婆さんを乗せて、車椅子畳んで積んで、運転して
駐車場を確保して、車椅子降ろして、大きくして、そして婆さんを乗せて、運ぶ。
どこかに降りるたびに、その動作の繰り返しだ。言っておくが、車椅子は結構重いのだ。

もう、この時点でイライラ来るんだが
婆さんは自分ではスイスイ歩けるつもりなので、車椅子に乗ると同時に車のドアを閉めようとして
転倒なんていうことは、もう何回やっただろう。私は下敷きになって接骨院送りになったこともある。
ひどいときには車椅子を広げている最中に車内から降りようとして、転びそうになり、
私がアクロバット体勢で支えることもしばしばだ。

こういうジッとしていてくれないで、かえって手間暇をかけさすことばかりやるので
キレそうになるが、理性でこらえる。

車椅子を車に積むときには座席に座って待っていてもらうのであるが
シートベルトひとつ締めていない。
途中で怒られると思うのか、なが~くベルトを出しきってくださり(元に戻らないほどだ)
あたかも締めているかのようにしているときもある。
できるけれども、面倒なので、やらないのだ。

こういう出来ないことをやって、出来ることはやらないという摩訶不思議な現象が多々起こる。

車だけでも大変なんだが、自由自在に歩けると思っているので(迷惑をかけているとか、
どんだけ付き添いは大変かなどという経験が一切ないので、こっちの気持ちはわからないのだ)

車で移動中も軽く「ちょっと、あそこに寄ってちょうだい」と軽く言う。

そういうことを防ぐべく、ショッピングセンターでは「もう、どこかに行きたいところはない?」としつこく聞くが

「どこもないね(つまんないわ、こんなとこ)」と言う。

そして、口も乾かぬ帰り道「まだ老人ホームに帰るには早いから、100円ショップにでも行こうかしら」

だから、さっき言えよ!
つーか、帰るのが早いって、もう朝一からずっとあなた(の病院)に付き合って、夕方過ぎましたけど?

何でも思い付きで言えば願いが叶うとでも思っているかのようだ。

毎日、ホームの食事が「おいしくない!」と吐き捨てるように言うので
外食に連れて行くようにしているが、文句たらたらだ。(要はすごい偏食なのだ)

今夜もおなかを朝、壊した(間食のし過ぎだよ)というので、うどん屋さんをセレクトしたら
「(おいしそうなものが)何もないじゃない」と抜かされた。

出された天ぷらうどんを「残すのは悪いから、あなた、食べなさい」と言う。(私はおかげでうどん1食半)

ホームの食事でも「あー、おいしくない!」と吐き捨てた後に
「あなた、食べなさい」と必ず言うのだ。(夕食時に付き合うことが多々ある&そこまで食えない味じゃない)

「美味しいから、あなたもどうぞ」って発想はないんだな。

コンサートも楽しみなら「客席みんなで昔の歌を歌うコンサート」に行ってみる?と声をかけると

「嫌だぁ~」とおっしゃる。

そして「あなたが行きたいの?(なら、付いて行ってあげるわよ)」と必ず言うのだ。

このパターンで全ての会話が成り立っている。

昔からこういう人だったような気もするが、何を誘っても「嫌だぁ~」と吐き捨てるように言う人間に
母と言えども、何かしてあげる気がドンドン失せる。

ホームに居て、呆けばかりの中にいるから、自分が呆けそうだ!と訴えられるが
アンタもナン百回も同じ話をしていて、半ボケだよ!と心で毒づく。

やさしくしてあげたい私とできない私との綱引きになる。

最近は私自身が小さいときに母にやってもらった恩義よりも
私はこの人と離れたい一心で24歳になったばかりという若さで結婚したんだった。
この人は毒母だったんだなぁ、私、結構、可哀想だったんだなぁということばかりが
思い出せれて苦しいだけだ。

いつもホームから帰るときはエレベーターが閉まるまで母が見送ってくるのだが
扉が閉まる時の罪悪感と解放感の両方でこころが痛い。

癒しのコンサートに行って、こんなに疲れてるなんて、どうなんだろう。

母がこの地に来て5か月、早くもグッタリな私だ。
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